レイシズムは良くないことだ。それは思う。人種という本人に起因しないことを条件に差別されたのではたまらない。それはいい。

 

言論の自由を掲げる人たちの多くが、レイシズムについて非寛容だ。反対するのは当然だ。あっている。が、レイシズムを肯定する言動を発する人に対して、圧力をかけて講演をとりやめさせるだとか、暴力や脅しを行うとか、どういうわけか言論の自由を掲げている割に、レイシズム軍国主義者に関しては人権はないものとして取り扱うことが彼らの中では当たり前のようではないか。

 

その矛盾を本人たちも当然理解しているものと思うが、と言ってこの矛盾を解きほぐすような理屈をネットで見かけることは今までの所ない。たいていは「このようなレイシストの言動を取り上げて新聞に乗せるなどけしからん」「社会に出してはいけない人間」といった、社会からの抹殺を推奨しておいて、疑問を提示する相手はブロックする、という形になっている。

 

私がわからないのは、自身こそが自分の主張に反しているはずの「言論への弾圧」「自分と違う主張をする人とのコミュニケーションの拒否」「特定の人間に対する人権の剥奪肯定」といった事をしながら、それについて特に問題とも思っていないらしいことだ。一体どうやって自己正当化しているのだろうか。

 

先に記した沖縄の人も、警官の土人発言にひどく傷つけられた、ショックだったと言う。私は「土人」が沖縄県民全体を指したものであるとはとても思えないが、当の本人がショックと思ってしまうと言われてしまえば仕方がない。仕方がないが、現場で過激な活動(というよりテロに近い)をしているような人間が沖縄県民の全体像とは思えませんが、という指摘には「一部過激な人もいるがこれが沖縄の総意だ」といったことをおっしゃり、結局本土は沖縄をなんだと思ってるんだという理屈になってしまう。

 

そういうあなたは、沖縄に少数だとしても存在している基地賛成派をどう考えているのか。基地の地元住民がむしろ活動家に検問まで勝手にされて迷惑していることも、「一部の過激な活動家の行い」だから仕方がないことだと考えるのか。沖縄における親本土派などは少数でありそのような言動は抹殺して良いというのか。少数の意見を聞けというのがあなたの主張ではなかったのか。といった自己矛盾を、一体どうして正当化出来ているのか。本当はこれを聞きたくて仕方がないのだが、「ショックだ」と言われてはもうどうにもならない。ショックでしたか。そうですか。

 

こういったことは、すでにちゃんとした正当化するための理屈があるのだろう、と個人的には思っている。そうでなければ、どうしてあんなに堂々と矛盾を抱えた主張ができるものか。しかし、私が調べないのが悪いのか、その理屈というものをまだ見たことがない。あれだけの数の人がいるのだから、バカな私でも分かるシンプルな理屈というものがあってしかるべきだ。それはなんなのだ。是非教えてくれないか。私だって自分の抱えている矛盾を正当化していって、後ろめたくない人生を送りたい。そのロジック、教えてくれ。

私は沖縄の人が怒りをぶつける「本土」の中にいる、一地方の人間だ。自衛隊の基地の側で轟音の中育ったが、別にひどい目にあったという自覚もないし、なんということもなく暮らした。東京へのあこがれはゼロではなかったが、それほどでもなく、それは今もあまり変わらない。地方の人間としては、過疎化が心配ではあるけれど、それを都会に怒ってみても仕方がない。本質的にはそれはその地方自身の問題だからだ。

 

沖縄は私の育った地方に比べたら、それは複雑な歴史を歩んできただろう。しかし思う。今沖縄にいる世代の人々は、その歴史のすべてを体験し「ひどい目にあってきた」わけではあるまい。何を言う、米軍の暴行事件があったではないか、と言うかもしれない。それも思う。なるほど沖縄県内で米兵の事件があった。が、沖縄が10km四方の土地しかないような狭いところなら分かるが、沖縄だって県だ。その県のすべての人々が、米兵の暴行にビクビクしながらの暮らしを余儀なくされているのならそれは問題だが、沖縄でもなんでもないところのほうが多かろう。なのにどうして「沖縄全体が虐げられている」ことの根拠がその事件になるのだ。虐げられたのはその人個人だ。基地がなければ事件はなかった?基地のない本土でも暴行事件は起きている。米兵が暴行しないと生きていけないような人種だと言うならそうかもしれないが、そんなわけはない。それとも、米兵はそういう人種だと差別したいのだろうか。

 

沖縄の人は「本土の人は沖縄の気持ちを考えたことがあるのか」という。悪いがそれほどないのだろう。あるにはあるが、本質的にピッタリ沖縄の気持ちを分かるなど無理だからだ。一方思う。そのように本土を責め立てるあなた方は、本土に暮らす普通の人たちの気持ちを考えたことがあるのか、と。わかり合いたい、と思っているなら考えてもいいことだが、考えている人を見たことはない。彼らの言う「本土」イメージは、どうも東京などの都会でぬくぬくと暮らすお金持ちの享楽的な人たちなのか。沖縄以外には地方はないとでも思っているのか。

 

沖縄以外にも「地方」はたくさんあり、会津などのように犠牲を強いられた地方もたくさんある。そうやって日本は出来てきている。沖縄だけ特に特別だという理由が「直近」以外にあるだろうか。その「直近」にしても、今いる世代は直接その影響を受けたのだろうか。

 

「沖縄の気持ちを分かれ」という主張に、そもそも「わかり合う」という希望はないだろう。あるのは一方的に理解をしろ、沖縄がそちらを理解する必要はない。それだけだ。悪いが、ただ怒りをぶつけ続ける人たちと付き合うほど、こちらには忍耐力はないのだ。

少し前にやっていた「しくじり先生」で、杉田かおるがしくじりを紹介していた。その中に「勝手に事務所を移籍した」といったことがあり、スタジオみんなが「それはだめでしょ」と引いていた。

 

とんねるずかな、と勝手に思ってるが、テレビ業界の常識や掟をテレビ業界の人たちがテレビの中で披露する状況というのをちらほら見かける。なんだよ!と思ってる。

 

テレビの中でつい「それはほんとそうだよ!」と一瞬だけ思いかけるが、勤めていた会社を辞めて同業の別会社に転職する。起業する。何が問題がある?何も問題なんかない。おかしいのはテレビの中の方で、それを「しくじり」として紹介するのも、「しくじってるなあ」と受け止めてるのも、ひっくるめてそもそもがおかしい。

 

おかしいのに、「ギョーカイ通」みたいなことから、むしろそういう普通の世の中と違うことを知っていることが通であるとか、そんな流れの果てが今の状況なんだろうか。

 

とにかく。おかしいことが堂々とテレビで流れていて、それをこっちも「そんなもんかー」と、なぜか納得しながら見てしまってる。そんなことはやっぱりおかしい。こちらには子供の頃から「テレビで言ってることは全部正しくて受け入れておけばいい」体制ができていて、今私はそれまずいのかな、と思い始めている。