自分は謝罪しない

靖国でも慰安婦でも、痛切な反省の言葉を述べたり謝罪をすべきだ、という意見の方は多い。首相が参拝したのは反省していない証拠だったり、慰安婦問題を解決済みとする姿勢は謝罪の意がないことの現れという理解なのだろう。

 

ところで、首相や公人は謝罪をすべきだ、と主張する方々自身は、毎年隣国に向けて謝罪をしているのだろうか。個人がネットで意見を表明できる時代、「申し訳ありませんでした」と自身の言葉で謝罪をすることは全く容易なことだ。が、「謝罪すべき」という意見で他者を批判する人はたくさん見るが、当の本人が率先して謝罪をしている場面は見たことがない。なぜだろう。

 

一般人が謝罪しても意味がない、公人や国の代表がすることが意義があるというのはわかるが、「気持ちの問題」として考えるなら、隣国が毎年怒っている以上、毎年謝る気持ちを持っていて当然ではないかと思う。自分がこうして毎年謝罪しているのに、国の代表がそれをひっくり返すからけしからん、と怒るのなら話はわかるが、自分は謝る立場ではないから謝らない、首相が謝れ、というのは、隣国に対して真摯な姿勢といえるだろうか。

 

私には嫌いな人に嫌なことを押し付けた上に、自分だけはすでに謝罪の済んだきれいな人にでもなっている、と勘違いした人のように見えている。「すでに謝罪はしているから何度もする必要はない」と考えているのだろうか。しかし隣国の方々は、何回謝っても何かするたびに謝罪を求めているわけだが。なぜ自身はそれに答えようとしないのだろうか。