日本が死んだらしい

「テロ等準備罪」を新設する法案が成立する見通し、としてニュースになっていた。大方の人が「まあ、そうなるんだろうな」と、もう冷めた目で見ているのではないか。その冷ややかな視線は、国会にでもあり、それに反対し、嘆き怒る人たちにでもあり、世間全体に対するものでもある。

 

SNSでは「立憲主義が崩壊する様をこの目で見ることになろうとは」と、シェイクスピアの読み過ぎのような嘆きっぷりを披露する人が溢れている。自分こそ最も嘆くぞ、と競い合っているかのようで、もはや笑えてしまう。

 

彼らの話のとおりなら、今日を境に、もう日本は立憲国家としては「死んだ」事になっており、安倍政権の独裁が完成したことになる。もはや言論の自由は奪われ、疑いをもって官憲は一般市民を自由に拘束できるようになった。「現代の治安維持法」が通ってしまったからには、今後は実際に豹変した安倍政権のもと、政権に反する言動を働く者は疑いだけでどんどん拘束され、ものを言えぬ社会となり、日本は戦争する国として軍靴の音を響かせることになる。

 

当然ながら私はこの手の話を「馬鹿じゃなかろうか」と思ってみている。巨悪に立ち向かいそれが成就しないという悲劇(成就して終わってしまうと困るので、本気で成就させることは考えていない)を迎えた自分、という自己陶酔に浸った彼らの下手な詩人っぷりを見せられているだけなのであって、本気で相手にはできないのだ。

 

 

もしかしたら今後、本当に彼らの言うように日本は暗い時代を迎えるのかもしれない。これまで、震災以降何かにつけ日本は終わっていることになっているため、こちらが麻痺してしまうのも仕方がないのだが、本当にそうなったら私は謝罪文でも掲載することにしようと思っている。

 

しかし、今吹き上がっている彼らはどうするつもりなのだろう。彼らに言わせれば、すでに立憲国家としての日本は死んでいて、言論自由も奪われたはずなのだ。彼らがすべきは捕まらないよう口をつぐむか、本気で国家転覆を企むか、国外に脱出するか、あたりではないか。のんびりSNSに思ったことを書いてみたり、公園を散歩したりといったありふれた日常は彼らにはもう失われているはず。あれだけ日本は死んだと騒いでおいて、普通に会社に出勤するような人がいるのだろうか。