SMAPのファンでもない私は、解散騒動に特に関心を持つこともなく過ごしているが、「フジテレビの内輪感」というものについてとても分かる話を見かけた。

 

あっ、最後にちょっとだけめんどくさいこと言ってもいいですか?(イヤって言われても言うけど) エンディングでSMAPのメンバーと制作スタッフがひとりずつ並んで写真撮影をするようなシーンが続いたのですが、こういう「内向きな感じ」が今のフジテレビの問題点だと思うのです。これが公開収録で、ファンの前での最後の『世界にひとつだけの花』だったのならともかく、非公開での収録+スタッフとの記念撮影というのは、スタッフは嬉しいだろうけど、視聴者、とくにファンは完全に「置き去りにされている」。

SMAPファンじゃない中年男が『SMAP×SMAP最終回』を観て思ったこと - いつか電池がきれるまで

 

テレビ界を「ギョーカイ」として、その内輪を広めていったのはとんねるずとフジテレビではないかと思う。「ギョーカイ用語」を使ったり、ギョーカイのことを知っているのがエライ、という雰囲気だ。一般社会から見ておかしなことであっても、「それがギョーカイってものだから」ということで納得させ、ギョーカイのことも知っている人間が「通」であるといった方向性。

 

そういった方向性は今も続いていて、かわいい女子アナウンサーを番組内でもてはやすような朝の番組があったり、芸能界における常識を(事務所を移籍すると干されるとか)さも当然ということとして放送したりと、「ギョーカイ」のことは、ある程度一般社会にも「そういうもの」として認知されてきているように思う。

 

が、本当は認知などしてやる必要はなかったのではないか、と私はいつも思っている。芸能人だからと言って、日本の法律や規則や常識が特に変更することもない。事務所を移籍(一般社会ならライバル会社への転職か)したからといってしばらく仕事がなくなる、などおかしなことだ。それもファンという需要はしっかりとあるのに、だ。ファンと芸能人の間には完全にパッキングされた「ギョーカイ」がいて、それがファンの邪魔をしている。それは本来除去されるべきものだが、メディアはもちろん一般人の中にも「義理を欠いたのだから干されてしかるべき」などと無駄に物分りの良いコメントをする人がいて困ったものだ。そのようなことを何故慮ってやらなければならないのか。

 

このようなことがいつから浸透したのかわからないが、同じようなことがもっと深く浸透しているのが政治の世界だと思う。以前も書いたが、国会議員が審議を拒否する、というのは、要するに公務のサボタージュではないか。ストライキをしているようなものだ。それを「攻防が激化しています」などと放送するテレビ局は何を勘違いしているのだろうか。

 

国会における攻防とは、案件(それも議員のスキャンダルなどではなく政策や法律のこと)について討論が激しく行われることを言うべきだろう。野党が審議拒否をしたり、水面下で政治家同士が密談したなどという話は、「仕事」などではないのだから。それをなぜか、国会での議論の様子はそこそこに、したり顔の政治部記者などが政治家の動向や審議拒否が遅くまで続いたこと、今後の国会の日程からするといつまでに採決が、などと、「ギョーカイ情報」よろしく永田町のルールをコメントしてくる。

 

そのようなものは本来無用のものなのだ。国民が国会議員に求めているのは、良い政治をするために法案をしっかり議論してもらうことであり、彼らの生活ぶりやサボりっぷりなどは「スキャンダルの話」であって「政治の話」ではない。それをメディアが先頭に立って勘違いしているのは異常だ。勘違いと言っても、おそらくは「勘違いしたままのほうがネタを取るのに楽だから」わざとそうしているのだろうが。

 

民進党蓮舫氏が党首となり「これからは提案型」などと最初は言っていたが、今となっては何から何までただ反対パフォーマンスをするだけの、今までと特に変わりのない「ザ・民主党」を貫いている。私には彼らが「この方向性で行けば今後も勢力を伸ばせる」と考えているのか「政治能力がないのでこういったことしかできない」と考えているのかわからないが、どっちにしても彼らのどこを支持すべき点として挙げられるのか、まったく見つけられない。あれは仕事をしないで税金をもらう公務員の最たるものの姿と言っても過言ではないのではないか。何しろ堂々とサボる宣言をして審議拒否なのだから。

 

そのようなことをまかり通らせてしまっているのは、結局のところ「無駄に物分りよく放送しているメディア」と「政治とはそういうものなのかと素直に受け止めてあげる視聴者」の構図が消えないからではないかと思う。普通に考えようではないか。自分の会社に、自分の異なる意見が通るようなら会社に来ないぞと宣言して本当に来なかったり、一度反対と言いだしたら相手の話も一切聞かず議論も妥協もしないような人間がいたら、どれほど迷惑なことか。それとこれと、何も変わるところなどないのだ。

 

こちらの常識を何でも押し付けてよいというわけではないだろうが、だからといって基本的に文化や風習が違うわけではない同じ日本の「業界」について、無意味に慮るのはもうやめにすべきだ。相手のことを知らないのか、などと恥じ入る必要はまったくない。むしろしたり顔でコメントを吐き散らすような、政治評論家を装った「政局評論家」を拒否しなければならない。