愚かしいデモ

 今朝千代田線内で見かけたおばあさんは、リュックに「原発反対」と書いた自作のキーホルダーをぶら下げていて、霞ヶ関で降りていった。テロ等準備罪の法案反対のデモに参加していたのだろう。暑い中よくがんばることだと感心する。

 

 意欲には感心するが、行動に感心するかというとまた別のことになる。どの案件でも同じだが、法案を阻止する可能性にまるで寄与しないああした行動を取ることの意味が、私にはわからない。

 

 数の論理とか強行採決と言ったことが聞かれるが、議論の末に多数決でことを決めるのはまさに民主主義的なことであると思う。もちろん、多数派になった与党がなんでもかんでも採決でことを進めてしまうことは問題ではあるのだが、「認められない」「強行採決だ」と言ってみたところで、それが実質的な意味を持たないことは、おそらく本人もわかっている。あれは単に、いるであろう反対派に「我々はちゃんと反対行動してますよ」とアピールしているだけだし、「審議が尽くされていない」に至っては、ボイコットしておいて何を言っているのか、という話になってしまう。

 

 私が理解できないのは、そうした「ことの解決に意味をなさない行動」を、なぜ彼らが「ここで食い止める!」といった、怪獣映画のヒーローのような勢いで行動できるのかだ。休日の国会前でリズムに合わせて声を上げることが、実際になんの有用性があるのか、おそらく彼らは論理的には説明できないだろう。

 

 何も人間の行動はいつも合理的ではないから、それはそれでいいのだが、しかし彼らは、原発やいろんなことで国会前行動を続けている。そしてそれらはほとんどすべて意味をなさず「負け」続けてきた。それでもなお同じ行動を繰り返すのは、愚かと言われても仕方がないのではないか。失敗から学ぶ気はないのだろうか。勝てないとわかっているなら他の行動を模索するべきなのにそうしないのは愚かだし、あれで本気で勝てると思っているならなおのこと愚かだ。

 

 彼らが本気で法案成立を阻止しようと考えるのであれば、あのようなデモやコールをするのではなく、ぐっと我慢しながら現政権に賛同する人たちに溶け込んで、怒らせたりしないようしっかりとした話し合いの中で、現政権のまずさを説いて味方を増やすことをするべきだ。そうして多数派になれば、政権をひっくり返せるかも知れないし、そうなればこれまでの法案を廃案にすることだって出来るかも知れない。しかし実際には、彼らは仲間内で盛り上がり、「アベ政治を許さない」と、嫌いな政治家は呼び捨てにし、瑣末なことでも針小棒大に批判を繰り広げ、さらには「アベを支持する奴も、黙認する奴もろくでもない」という態度を臆面もなく出してくる。どう考えても、あれは民主主義を守ろうとか、なんとか変えようという「前向きな」行動などではない。「近寄ったらいけないやばいやつです」という自己アピールをしているようなものだ。

 

 こうした彼らの行動を理解しようとして、凡人の私が思いつくのは「あれは暴走族のようなものなのだろう」という整理だ。暴走族が意味はないけど爆音で道路を駆け抜けて喜ぶように、同じ仲間と国会前に集まって怒りを発散する、そういうレクリエーションだと思えば、勝てないとわかっていてもあれを繰り返すしかないのも分かる。しょうがない。やりたいことそのものがあれなんだから。政治行動は合理的・効果的に行うのが、実際にことを動かす気でやるなら当然だが、彼らのやりたいのは政治行動ごっこなのだから、本当にそれでことが動くかどうかなど考える必要はない。そう考えればわかる。仲間と盛り上がり達成感を味わえる。お金もかからない。

 

 しかし、大きなお世話だが、老後の趣味としては、これからの季節体力的にも問題がある。健康のためにもあまり無理のないようにしてほしいと思う。高齢者の医療費増大が問題になっていることでもあるし。