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多様性をもって共に暮らすことの難しさ

男性保育士に女児の着替えを手伝わせるのは問題か、という話題を見かける。職務上は問題のないことであり、だから男性は保育士に向かないというのは職業差別だ。という見方と、では保護者は心配でも我慢しなければならないかという見方。もともとの発端は、これも性別に限らない性犯罪者が原因ということではあるが、そうは言っても何かが解決するわけでもない。根深い問題だと思う。

 

少なくとも建前上は、日本は障害者の人権を認めている。実際には低い賃金で働くことしか出来ないとかいった問題もあるが、表立って障害者を人間扱いしないような人は普通はいない。この流れは教育においても顕著で、介護・サポートがなければ生きていけないような子供を普通の小学校などに入れようとして奮闘する保護者のニュースというのを目にした人も多いだろう。

 

大学のような高等教育の現場においても、知的障害者の受け入れに積極的だ。積極的なのは文部科学省なのであるが、発達障害アスペルガーといった障害を持つ子供も受け入れることを推進している。その趣旨は、そうした知的障害者は、対人コミュニケーションを苦手とするために「バカ」と思われ学ぶ機会を得られないことが多いが、そうではないというものだ。コミュニケーションが苦手な一方、興味を持ったことについては常人を越える能力で学習することもあり、それは高等教育の中で価値がある、という見立てである。「レインマン」などをイメージすると良いと思う。

 さて、私の知っているケースである。上記のようなこともあり入学を認めた男子学生がいる。彼はやはり相手との距離を測ることが出来ないため、話しかけてくれる相手にはすぐ好意を持つ。小さい子供ならよくあることだが、すでに20を過ぎた彼には、性欲があり、またお金の使い方を心得ている。

 

彼は話しかけてくれた女の子にはすぐに食事をごちそうする、お金をあげるといったことをし、その時点で「彼女」と認識してしまった。相手はその気はないため断ると、逆上し、いつまでもつきまとい、授業中でも食事中でも付き合え、どうにかしろ、訴えるぞ、と脅しをかけるようになったため、女子学生は大学に来られなくなった。

 

次に気に入った女の子ができた彼は、周囲にあの子が気に入った、自分はあの子とセックスする、そのためにあの子の近所に引っ越す、と、触れてまわった。「あの子」が実際に自宅付近で彼を見かけたことから騒動となり、何度めかの警察沙汰になった。本人はただいただけなのにどうして犯罪者扱いするのかと地面に寝転がってバタついたりした挙句、今ので足を折ったから治療費を請求する、訴えると続ける。たまりかねた大学側は保護者を呼ぶが、のれんに腕押しで相手にならない。

 

一義的に悪いのはこの大学なのだろう。彼には高等教育を受けるだけの能力、また集団の中で生活するだけのスキルが備わっていないのだ。なのに入学を認めた。認めた以上は責任を持ってサポートしなければならないが、入学までにそれをどこまで見極められるかという問題もある。加えて、文科省はそうした子供にも高等教育を受けさせることをよしとしている。

 

被害を受けた女子学生は気の毒なことであるが、障害者が健常者と一緒に教育を受けることは権利なのだから、我慢しつつ注意したりして共生しなさい、と、言える人は普通はいないことだろう。では、彼を退学なり処分するべきだろうか。しかし彼は悪いのだろうか。障害によってこうなっている(とされている)のに。病気ではない。障害なのだから、治るというものでもない。

 

こういう話には大概「お互いを理解し寄り添っていく努力を」と言った、手垢の付いた綺麗事で締めくくられ、具体的な方策は出てこないものだ。実際どうしたらいいものか。

 

神奈川で障害者を大量に殺害した犯人は、障害者には人権がなく、死なせたほうが幸せだ、と考えていたようだ。恐ろしい話だ。その恐ろしさの本当のところは、答えを出せない問題に対して、彼は答えを出してしまっているところだ。とても答えとして受け入れることは出来ない内容だが、それでも彼は答えを見つけた。それも、現場を経験した者としての実感に基づく答えを。現場を見たこともない私が、「それは間違っている。本当はこうだ」と言っても説得力はない。そもそも本当の答えなど持ってもいないのだ。おそらく、彼を心から反省させられる人は周囲にはいないと思う。

 

隔離せよ、閉じ込めよとも言えない。共存できることが望ましいことも確かである。しかし、どうしても「この場、この条件で一緒になるのは、無理」だと言わざるを得ない状況がある。彼は大学に入れるべきではない人間であった。差別かもしれない。人権侵害かもしれない。それでも私は悔しいと思いながらもそうするしかないだろう、と考えてしまう。そういうケースができるだけ少なくあって欲しい、と願ってはいるが、それでも。