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リベラリストが、というくくり方をすることに躊躇する。おそらく本来の「リベラル」という言葉は、保守的な考え方の人間は無視していい、人格ごと否定してよく話し合ってやる余地などない、というような考え方のものではないだろう。

 

なので記事中で言う「リベラル層」は、本当はそんないいものではなく、やはり「絶対に自分たちの方が正しいのだから異なることを言う人間は追い出したい」という考え方の集団、とでも思うのが自然に感じる。

 

差別だとレッテルさえ貼れば相手を沈黙させられるからと好き放題やっているうちに、相手が人間だということを忘れてしまったのかもしれない。ひどい言いようだが、彼らの「憎い政治家」や「公的権力」に対するやりようを見ていると、そうとしか思えないのだ。

 

アメリカではトランプ氏であり日本では安倍総理大臣がその役どころとなっているが、リベラルでございます、と公言している人たちの彼らの叩きっぷりは常軌を逸している。そのことに気づいてもいない。やることなすことすべて批判し、「戦争への道」に繋げる。そうしたものがかろうじてまっとうな批判、だとして。顔にちょび髭をつけてヒトラーに模してみたり(実際、彼らほど手軽にヒトラーをネタにさせてもらってる人はいないだろう。お礼でもしたらどうか)、罵詈雑言の嵐を浴びせている。

 

言うまでもないが総理大臣も大統領も人間だ。しかし、彼らはどうも「あれは人間であって人間でない」と考えている節がある。

 

沖縄のヘリポート建設現場が騒動のままだが、「土人」という言葉について、「一部の過激な活動家が迷惑をかけていることもあるかもしれないが、沖縄の意思は無視されるべきではなく、例え末端の機動隊員であろうと公的権力を背負っている人間はそのことを自覚しなければならない」と批判している方がいた。

 

これも、「一部の過激な活動家」は人間としてみなしているが、「公的権力を担う機動隊員」は人間である前に権力そのものだ、という考え方をしているのだろうと思う。

 

大阪から沖縄まで出張させられ、わけのわからない罵詈雑言を浴びせられ続け暴力も振るわれながら、一言たりとも反抗的な言葉を発しても暴力もしてはならず、さりとて場を維持しなければならない。・・・私がこんな仕事をさせられたらすぐに根を上げるだろう。

 

私にとっては、活動家だろうが総理大臣だろうが機動隊員だろうが、まずその人は「一人の人間」なので、いったいどういう気持ちでその発言をしたのか、背景にどんな環境があったのかに興味を持つ。しかし、どうもリベラル自称者は、「権力側」となっただけで相手を人間としては見られなくなるようだ。とにかく権力となると人格を喪失した悪魔のように感じているのだろうか。

 

リンクの記事では、リベラル層の側が「トランプ支持者は信用できない」と言い放ち、コミュニケーションを拒絶しているという。そんな彼らが「アメリカは深刻な分断に陥っている」と懸念を表明するというのはお笑い草ではないか。北朝鮮のマネでもしたくなったのだろうか。

 

今こうして巻き起こっている「正義を気取ったリベラリストたちが化けの皮をはがされ、単に自称正義を振りかざして他人を屈服させてきた迷惑な人たちだった」という流れは、今後続くだろうか。その中で我こそはリベラリストと考えてきた人たちはどうするのだろうか。私だったら……相手を人間として見ないで上から批判を続けていたことを反省する。が、ここまでやってきちゃった人は今更カッコ悪くて転向できないだろうか。最後まで自分だけが正義、世界は暗黒に包まれていくと言いながら逃げを打つか。それもまた迷惑な話だ。そちらはどうか知らないが、こちらは一応あなた方のことを血の通った人間だと思っているのだ。つまらない意地を張らないで反省して相手を人間として見てみてはどうか。