いつだったか、とあるご夫婦の家にお邪魔して話していたことがあった。奥様はワイドショーネタの好きな典型的な女性で、そういったくだらない話をしていたのだが、オネエタレントが増えてきたという話題になった。

 

私は、「オネエタレント、みんなやたらはしゃいでてやかましいので、あんなに出てきてほしくない」といったことを話したのだが、そこで黙っていた旦那さんが急に気色ばんで話し始めた。性別が何だ、オネエだってなんだってテレビに出ていいじゃないか、オネエだからだめとかいうことはないんだ、と。関係性の手前ストレートの発言されなかったが、私の言ったことが差別発言だと受け取ったようだった。

 

「オネエタレントは騒がしい」というのが差別発言なのか。そう言われればそうのような気もするし、「そうなんだ」と言われればこちらは引っ込むしかない。しかし帰りしなつらつら考えても、実際に彼らがテレビ上で騒がしくするキャラを演じているのはそのとおりだし、当時オネエタレントがテレビ内でもてはやされて本当に何人も出ていた。(今はマツコとミッツくらいだが)そういうことを騒がしい、ということが本当に差別に当たるだろうか。

 

そんな些細な事をいつまでも覚えている私も大概陰湿なのだが、その時感じた不快感は、思ってもいないことを「差別」と決めつけられたことにあると思う。これが「オネエタレントなんてテレビに出てはいけない」と言っていたらそりゃ差別だが、私はオネエタレントが騒がしいと言ったのだが。

 

これはもう意識の違いなのかもな、と思う。私が差別に関する意識の低い無知で無神経な輩のため、不用意な発言を行い、差別としてテレビの向こうにいる人を傷つけたということになる、のだろう。しかし、私はそんなことより「オネエ本人が傷ついたと言ってるわけでもないのに、私の発言の意図をさらに大げさに解釈して差別だと言いたがるこの人とは、もう話をしたくないな」と思った。これでは、「いまテレビにいた黒人タレントが」と言っただけでもお叱りを受ける。肌の色など前提に話すべきではないとか。

 

本人は正しいことを言っているつもりだろうから、それが押し付けがましかろうが、相手の意図を捻じ曲げて差別的に捉えたものであろうが気にしてない。自覚があろうがなかろうが、そういう発言はだめだということを自分が教えてやらなきゃ、という思考なのだから。そういうことが反論できない反発を招き、トランプ氏を勝たせるようなことになったのだろうと思う。私はトランプ支持者などでは決してないが、彼が勝ってしまう状況になるまでに至った、彼に票を投じた人たちの心理は何となく分かる。おおよそこのようなことが感じられたのだろう。

 

知識人、という言い方が適当かわからないが、「極右が国の中心になった。これはこれまでこの国の中心だったリベラルな我々がそうではなくなったということだ」と懸念を表明していた人がいた。色々弁解したいだろうが、彼らお得意の決めつけで言わせていただければ、まったく馬脚を現すとはこのことだなと思う。完全に法に則って民主的にトランプ氏が選出されたにも関わらず、自身の支持する考え方と違うものが選ばれてみると「自分たちが中心だったのに、今回そうではなくなったのだ」と言ってしまうその自意識。なかなか普通の人に言えることではない。

 

彼はNY在住で、これまでもずっと沖縄問題や慰安婦問題にいかにもな発言をしてきている。NY在住。今回の選挙によって、アメリカは分断化が進んでおり、それは都市部と内陸の田舎との格差、意識の差であることも分かってきている。「アメリカに住んでいるから知っている」と自称する知識人のほとんどが都市部にいてごく一部のアメリカしか伝えていなかった、それが今回の予想外を招いているということも多くの人が知ることとなった。その状況において、なお「自分たちが国の中心だった」と言い切れるこの人の感覚は、私には恐ろしい。この人には、最初から内陸部の田舎で将来に不安の持てない暮らしを送る白人、など大して意識の中にはないのだ。今回声を上げた層がずっと苦しんでいたことを、彼は存在ごと把握せず「中心は俺たち」でやっていたのだ。

 

彼らがどうしてああも自分の立場に無自覚で、他人に対して過剰に反応しつっかかるのか、仲良くやろうとしないのかが私は不思議で仕方がない。そのくせ自分たちこそが最も多様性を理解し差別をしない平和的な人間で、言論と民主主義が大事だと言い張っているのだ。やりたい放題だな、と吐き捨てたくなることがなぜおかしなことなのか、私にはそちらがわからない。「知識人」とは一体なんだろうか。いや、頭がいいのだろうが、その頭の良さは普通の人を遠ざける方向にしか働いていない。分断を招いているのが自身という自覚も持てない彼らを見ていると、頭良くなるのも考えものだな、という結論になってしまう。まったく、考えものだ。