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トランプが勝ったことを、意外に思いつつも「でもまあそうか」といった捉え方をしている人が多いのではないかと思う。これを「ショックだ」と騒いでいる人がネット上には見られるが、失礼だがパフォーマンスでなく本気でそうだとしたら、ちょっと見識が浅すぎるのではないかと感じる。トランプ氏が泡沫候補などと言われていたのはかなり序盤で、それからどんどんと大統領への階段を登ってきていた。それをずっと見ていながら、今更何がショックだというのだろう。

 

いろいろな分析がなされているが、要するに「貧すれば鈍する」ということなのではないか。これまで積み上げられてきた「人権」「弱者の保護」といった絶対的に正しいお題目は、その裏付けにどうしても金が必要だ。それが寄付や税金やどういった経路で拠出されるにせよ、それらは元気に働いている人たちから抜かれて弱者に支給される。

 

国という大きなシステムの中で、結局のところ自分が「弱者」にいくら払っているのかが分からないこともあり、「自分の生活が困ってるわけでもないのだから、それで誰かが助かるのならいいことだ」と思える。それは正しいことなのだから。しかし、自分の仕事がなくなったり、あるはそうなるかもしれないという危機感に苛まれる中で、なお「まあいいか」と思うにはそれなりの覚悟がいるだろう。そのような寛容さは誰でも用意できるものではないということだ。

 

トランプ氏は今後どのように動くのだろうか。アメリカがどうなるのかはとてもわからないが、分かるのは、綺麗事を言ったり、絶望や批判を続けることで目立とう、自分が正しい人間であるように見せよう、などという振る舞いをしている人間は、状況が変わればすぐ転ぶということくらいだ。

 

今トランプ批判をしている人たちは、今後弱者保護のために自分の生活もランクダウンすることとなれば、いとも簡単に「他人の人権より自分の人権」を主張することだろう。それは別に不自然なことではない。不自然なのは、人間などそのようなものであるにも関わらず、自分だけは他人のために身体を投げ打つ覚悟でござい、といった態度で正義を振りかざす、その無自覚さであり、不正直さだ。そうだ、私はそれを憎んでいるのだ。

 

トランプ氏に票を投じた人の多くは、そうした憎しみを持っていたと思う。「俺達もひどい目にあうかもしれないが、お前たちの方がもっとひどい目にあうだろう、安全なところから薄っぺらい綺麗事ばかり抜かしやがって、ざまあみろ」という。

 

そうした怒りを招いたことに、そして自分たちがただ「正論」を持っていただけで、別に「多数派の支持」を持っていたわけではないことに、彼らはいい加減気づいただろうか。多くの人が「正論でやり込められることへの辟易」を感じていたことを知っただろうか。知った上で、彼らの気持ちを捉える方向へ動くだろうか。私はきっと無理だと思う。それには彼らは自分の偽善をまず認めなければならないから。クジラは助けたいけど家畜が死ぬのはいいのだ。それを割り切れてしまう人間に何を言っても無駄だ。

 

結果を受け、いち早く絶望して見せている人も多い。彼らは「アメリカ人の少なくとも半分近くが、あのような人物なのを知った上でなおトランプ氏を選んだ」ということの重さをまったく分かっていない。そのような愚かな選択をする人間などは、差別的で頭の悪い連中だから顧みるに値しない、と頭から思い込んでいるからだ。ただ自分をものの分かった人間に見せたいだけだった、という底の浅さが見える対応だ。人権人権と言っても「トランプ氏を支持する人間」には、尊重など不要なのだ。