私は沖縄の人が怒りをぶつける「本土」の中にいる、一地方の人間だ。自衛隊の基地の側で轟音の中育ったが、別にひどい目にあったという自覚もないし、なんということもなく暮らした。東京へのあこがれはゼロではなかったが、それほどでもなく、それは今もあまり変わらない。地方の人間としては、過疎化が心配ではあるけれど、それを都会に怒ってみても仕方がない。本質的にはそれはその地方自身の問題だからだ。

 

沖縄は私の育った地方に比べたら、それは複雑な歴史を歩んできただろう。しかし思う。今沖縄にいる世代の人々は、その歴史のすべてを体験し「ひどい目にあってきた」わけではあるまい。何を言う、米軍の暴行事件があったではないか、と言うかもしれない。それも思う。なるほど沖縄県内で米兵の事件があった。が、沖縄が10km四方の土地しかないような狭いところなら分かるが、沖縄だって県だ。その県のすべての人々が、米兵の暴行にビクビクしながらの暮らしを余儀なくされているのならそれは問題だが、沖縄でもなんでもないところのほうが多かろう。なのにどうして「沖縄全体が虐げられている」ことの根拠がその事件になるのだ。虐げられたのはその人個人だ。基地がなければ事件はなかった?基地のない本土でも暴行事件は起きている。米兵が暴行しないと生きていけないような人種だと言うならそうかもしれないが、そんなわけはない。それとも、米兵はそういう人種だと差別したいのだろうか。

 

沖縄の人は「本土の人は沖縄の気持ちを考えたことがあるのか」という。悪いがそれほどないのだろう。あるにはあるが、本質的にピッタリ沖縄の気持ちを分かるなど無理だからだ。一方思う。そのように本土を責め立てるあなた方は、本土に暮らす普通の人たちの気持ちを考えたことがあるのか、と。わかり合いたい、と思っているなら考えてもいいことだが、考えている人を見たことはない。彼らの言う「本土」イメージは、どうも東京などの都会でぬくぬくと暮らすお金持ちの享楽的な人たちなのか。沖縄以外には地方はないとでも思っているのか。

 

沖縄以外にも「地方」はたくさんあり、会津などのように犠牲を強いられた地方もたくさんある。そうやって日本は出来てきている。沖縄だけ特に特別だという理由が「直近」以外にあるだろうか。その「直近」にしても、今いる世代は直接その影響を受けたのだろうか。

 

「沖縄の気持ちを分かれ」という主張に、そもそも「わかり合う」という希望はないだろう。あるのは一方的に理解をしろ、沖縄がそちらを理解する必要はない。それだけだ。悪いが、ただ怒りをぶつけ続ける人たちと付き合うほど、こちらには忍耐力はないのだ。